2025年8月24日

内容

2025年8月24日
聖霊降臨後第11主日
東洋ローア・キリスト伝道教会
前橋伝道所
黙祷
招詞   テトス2:11
讃美   讃美歌56番「七日のたび路」
主の祈り
使徒信条
祈祷
聖書朗読  ローマ人への手紙 14章1~12節
説教   「死ぬにも生きるにも主のため」
讃美   讃美歌332番「主はいのちを」
献金感謝祈祷
頌栄   讃美歌541番「父、み子、み霊」
祝祷
※手話による礼拝です。今回は執事説教のため、動画はありません。
“信仰の弱い人を受け入れなさい。その意見をさばいてはいけません。
ある人は何を食べてもよいと信じていますが、弱い人は野菜しか食べません。
食べる人は食べない人を見下してはいけないし、食べない人も食べる人をさばいてはいけません。神がその人を受け入れてくださったのです。
他人のしもべをさばくあなたは何者ですか。しもべが立つか倒れるか、それは主人次第です。しかし、しもべは立ちます。主は、彼を立たせることがおできになるからです。
ある日を別の日よりも大事だと考える人もいれば、どの日も大事だと考える人もいます。それぞれ自分の心の中で確信を持ちなさい。
特定の日を尊ぶ人は、主のために尊んでいます。食べる人は、主のために食べています。神に感謝しているからです。食べない人も主のために食べないのであって、神に感謝しているのです。
私たちの中でだれ一人、自分のために生きている人はなく、自分のために死ぬ人もいないからです。
私たちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死にます。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。
キリストが死んでよみがえられたのは、死んだ人にも生きている人にも、主となるためです。
それなのに、あなたはどうして、自分の兄弟をさばくのですか。どうして、自分の兄弟を見下すのですか。私たちはみな、神のさばきの座に立つことになるのです。
次のように書かれています。「わたしは生きている──主のことば──。すべての膝は、わたしに向かってかがめられ、すべての舌は、神に告白する。」
ですから、私たちはそれぞれ自分について、神に申し開きをすることになります。”
ローマ人への手紙 14章1~12節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

聖画内容

「カルヴァリオへの道で倒れるキリスト」
ラファエロ
1516年
プラド美術館所蔵

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