2024年10月6日
2024年10月6日
聖霊降臨後第20主日
東洋ローア・キリスト伝道教会
前橋伝道所
黙祷
招詞 ヨハネの福音書6:35
讃美 讃美歌7番「主のみいつとみさかえとを」
主の祈り
使徒信条
祈祷
聖書朗読 コリント人への手紙第一13章1~13節
説教 「信仰、希望、愛」
讃美 新聖歌216番「ここに真の愛あり」
献金感謝祈祷
頌栄 讃美歌541番「父、み子、み霊」
祝祷
※手話による礼拝です。今回は執事説教です。
“たとえ私が人の異言や御使いの異言で話しても、愛がなければ、騒がしいどらや、うるさいシンバルと同じです。
たとえ私が預言の賜物を持ち、あらゆる奥義とあらゆる知識に通じていても、たとえ山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、私は無に等しいのです。
たとえ私が持っている物のすべてを分け与えても、たとえ私のからだを引き渡して誇ることになっても、愛がなければ、何の役にも立ちません。
愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。
礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、苛立たず、人がした悪を心に留めず、
不正を喜ばずに、真理を喜びます。
すべてを耐え、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを忍びます。
愛は決して絶えることがありません。預言ならすたれます。異言ならやみます。知識ならすたれます。
私たちが知るのは一部分、預言するのも一部分であり、
完全なものが現れたら、部分的なものはすたれるのです。
私は、幼子であったときには、幼子として話し、幼子として思い、幼子として考えましたが、大人になったとき、幼子のことはやめました。
今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、そのときには顔と顔を合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、そのときには、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。
こういうわけで、いつまでも残るのは信仰と希望と愛、これら三つです。その中で一番すぐれているのは愛です。"
コリント人への手紙 第一 13章1~13節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
「至聖三者」
アンドレイ・ルブリョフ
1427年
トレチャコフ美術館所蔵