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2024年8月18日

2024年8月26日主日礼拝2024

2024年8月18日
聖霊降臨後第十三主日
東洋ローア・キリスト伝道教会
前橋伝道所
黙祷
招詞   テトスへの手紙2:11
讃美   聖歌480番「輝く日をあおぐとき」
主の祈り
使徒信条
祈祷
聖書朗読 コリント人への手紙第一12:12~31
説教   「キリストの体なる教会」
讃美   讃美歌21・512番「主よ、ささげます」
献金感謝祈祷
頌栄   讃美歌541番「父、み子、み霊」
祝祷
※手話による礼拝です。執事説教のため、動画はありません。
“ちょうど、からだが一つでも、多くの部分があり、からだの部分が多くても、一つのからだであるように、キリストもそれと同様です。
私たちはみな、ユダヤ人もギリシア人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によってバプテスマを受けて、一つのからだとなりました。そして、みな一つの御霊を飲んだのです。
実際、からだはただ一つの部分からではなく、多くの部分から成っています。
たとえ足が「私は手ではないから、からだに属さない」と言ったとしても、それで、からだに属さなくなるわけではありません。
たとえ耳が「私は目ではないから、からだに属さない」と言ったとしても、それで、からだに属さなくなるわけではありません。
もし、からだ全体が目であったら、どこで聞くのでしょうか。もし、からだ全体が耳であったら、どこでにおいを嗅ぐのでしょうか。
しかし実際、神はみこころにしたがって、からだの中にそれぞれの部分を備えてくださいました。
もし全体がただ一つの部分だとしたら、からだはどこにあるのでしょうか。
しかし実際、部分は多くあり、からだは一つなのです。
目が手に向かって「あなたはいらない」と言うことはできないし、頭が足に向かって「あなたがたはいらない」と言うこともできません。
それどころか、からだの中でほかより弱く見える部分が、かえってなくてはならないのです。
また私たちは、からだの中で見栄えがほかより劣っていると思う部分を、見栄えをよくするものでおおいます。こうして、見苦しい部分はもっと良い格好になりますが、
格好の良い部分はその必要がありません。神は、劣ったところには、見栄えをよくするものを与えて、からだを組み合わせられました。
それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いのために、同じように配慮し合うためです。
一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。
あなたがたはキリストのからだであって、一人ひとりはその部分です。
神は教会の中に、第一に使徒たち、第二に預言者たち、第三に教師たち、そして力あるわざ、そして癒やしの賜物、援助、管理、種々の異言を備えてくださいました。
皆が使徒でしょうか。皆が預言者でしょうか。皆が教師でしょうか。すべてが力あるわざでしょうか。
皆が癒やしの賜物を持っているでしょうか。皆が異言を語るでしょうか。皆がその解き明かしをするでしょうか。
あなたがたは、よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい。私は今、はるかにまさる道を示しましょう。"
コリント人への手紙 第一 12章12~31節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
「叙階の秘跡」
ニコラ・プッサン
1640年
キンベル美術館所蔵