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2023年11月19日

2023年12月1日主日礼拝2023

2023年11月19日
東洋ローア・キリスト伝道教会
前橋伝道所
聖霊降臨後第二十五主日
黙祷
招詞   マラキ3:1
讃美   聖歌480番「輝く日をあおぐとき」
主の祈り
使徒信条
祈祷
聖書朗読 ローマ人への手紙9:14~24
説教   「神の主権と憐れみの器」
讃美   聖歌522番「地のちりにひとしかり」
献金感謝祈祷
頌栄   讃美歌541番「父、み子、み霊」
祝祷
※手話による礼拝です。
執事説教です。動画はありません。
“それでは、どのように言うべきでしょうか。神に不正があるのでしょうか。決してそんなことはありません。
神はモーセに言われました。「わたしはあわれもうと思う者をあわれみ、いつくしもうと思う者をいつくしむ。」
ですから、これは人の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。
聖書はファラオにこう言っています。「このことのために、わたしはあなたを立てておいた。わたしの力をあなたに示すため、そうして、わたしの名を全地に知らしめるためである。」
ですから、神は人をみこころのままにあわれみ、またみこころのままに頑なにされるのです。
すると、あなたは私にこう言うでしょう。「それではなぜ、神はなおも人を責められるのですか。だれが神の意図に逆らえるのですか。」
人よ。神に言い返すあなたは、いったい何者ですか。造られた者が造った者に「どうして私をこのように造ったのか」と言えるでしょうか。
陶器師は同じ土のかたまりから、あるものは尊いことに用いる器に、別のものは普通の器に作る権利を持っていないのでしょうか。
それでいて、もし神が、御怒りを示してご自分の力を知らせようと望んでおられたのに、滅ぼされるはずの怒りの器を、豊かな寛容をもって耐え忍ばれたとすれば、どうですか。
しかもそれが、栄光のためにあらかじめ備えられたあわれみの器に対して、ご自分の豊かな栄光を知らせるためであったとすれば、どうですか。
このあわれみの器として、神は私たちを、ユダヤ人の中からだけでなく、異邦人の中からも召してくださったのです。"
ローマ人への手紙 9章14~24節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
『パラダイス』
1530年
ルーカス・クラナッハ
美術史美術館所蔵