2023年7月9日
2023年7月9日
東洋ローア・キリスト伝道教会
前橋伝道所
聖霊降臨後第六主日
黙祷
招詞 ハバクク書2章20節
讃美 讃美歌70番「父、み子、み霊の」
主の祈り
使徒信条
祈祷
聖書朗読 コリント人への手紙第一9:1~18
説教 「パウロの使徒職」
讃美 聖歌529番「ゆきてつげよあまねく」
献金感謝祈祷
頌栄 讃美歌541番「父、み子、み霊」
祝祷
※手話による礼拝です。
執事説教のため、動画はありません。
“私には自由がないのですか。私は使徒ではないのですか。私は私たちの主イエスを見なかったのですか。あなたがたは、主にあって私の働きの実ではありませんか。
たとえ私がほかの人々に対しては使徒でなくても、少なくともあなたがたに対しては使徒です。あなたがたは、私が主にあって使徒であることの証印です。
私をさばく人たちに対して、私は次のように弁明します。
私たちには食べたり飲んだりする権利がないのですか。
私たちには、ほかの使徒たち、主の兄弟たちや、ケファのように、信者である妻を連れて歩く権利がないのですか。
あるいは、私とバルナバだけには、生活のために働かなくてもよいという権利がないのですか。
はたして、自分の費用で兵役に服す人がいるでしょうか。自分でぶどう園を造りながら、その実を食べない人がいるでしょうか。羊の群れを飼いながら、その乳を飲まない人がいるでしょうか。
私がこのようなことを言うのは、人間の考えによるのでしょうか。律法も同じことを言ってはいないでしょうか。
モーセの律法には「脱穀をしている牛に口籠をはめてはならない」と書いてあります。はたして神は、牛のことを気にかけておられるのでしょうか。
私たちのために言っておられるのではありませんか。そうです。私たちのために書かれているのです。なぜなら、耕す者が望みを持って耕し、脱穀する者が分配を受ける望みを持って仕事をするのは、当然だからです。
私たちがあなたがたに御霊のものを蒔いたのなら、あなたがたから物質的なものを刈り取ることは、行き過ぎでしょうか。
ほかの人々があなたがたに対する権利にあずかっているのなら、私たちは、なおさらそうではありませんか。それなのに、私たちはこの権利を用いませんでした。むしろ、キリストの福音に対し何の妨げにもならないように、すべてのことを耐え忍んでいます。
あなたがたは、宮に奉仕している者が宮から下がる物を食べ、祭壇に仕える者が祭壇のささげ物にあずかることを知らないのですか。
同じように主も、福音を宣べ伝える者が、福音の働きから生活の支えを得るように定めておられます。
しかし、私はこれらの権利を一つも用いませんでした。また、私は権利を用いたくて、このように書いているのでもありません。それを用いるよりは死んだほうがましです。私の誇りを空しいものにすることは、だれにもできません。
私が福音を宣べ伝えても、私の誇りにはなりません。そうせずにはいられないのです。福音を宣べ伝えないなら、私はわざわいです。
私が自発的にそれをしているなら、報いがあります。自発的にするのでないとしても、それは私に務めとして委ねられているのです。
では、私にどんな報いがあるのでしょう。それは、福音を宣べ伝えるときに無報酬で福音を提供し、福音宣教によって得る自分の権利を用いない、ということです。"
コリント人への手紙 第一 9章1~18節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
『パウロの回心』
ミケランジェロ・ブオナローティ
1542年
パオリーナ礼拝堂所蔵