2022年9月11日
2022年9月11日
東洋ローア・キリスト伝道教会
前橋伝道所
聖霊降臨後第14主日
黙祷
招詞 イザヤ43:1
讃美 讚美歌7番「主のみいつとみさかえとを」
主の祈り
使徒信条
祈祷
聖書朗読 ローマ人への手紙6:1~14
説教 「キリスト・イエスにつくバプテスマ」
讃美 讃美歌541番「あめなるよろこび」
献金感謝祈祷
頌栄 讃美歌541番「父、み子、み霊」
祝祷
※手話による礼拝です。
今回は執事説教です。
動画はありません。
“それでは、どのように言うべきでしょうか。恵みが増し加わるために、私たちは罪にとどまるべきでしょうか。
決してそんなことはありません。罪に対して死んだ私たちが、どうしてなおも罪のうちに生きていられるでしょうか。
それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。
私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、ちょうどキリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、新しいいのちに歩むためです。
私たちがキリストの死と同じようになって、キリストと一つになっているなら、キリストの復活とも同じようになるからです。
私たちは知っています。私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅ぼされて、私たちがもはや罪の奴隷でなくなるためです。
死んだ者は、罪から解放されているのです。
私たちがキリストとともに死んだのなら、キリストとともに生きることにもなる、と私たちは信じています。
私たちは知っています。キリストは死者の中からよみがえって、もはや死ぬことはありません。死はもはやキリストを支配しないのです。
なぜなら、キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、キリストが生きておられるのは、神に対して生きておられるのだからです。
同じように、あなたがたもキリスト・イエスにあって、自分は罪に対して死んだ者であり、神に対して生きている者だと、認めなさい。
ですから、あなたがたの死ぬべきからだを罪に支配させて、からだの欲望に従ってはいけません。
また、あなたがたの手足を不義の道具として罪に献げてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者としてあなたがた自身を神に献げ、また、あなたがたの手足を義の道具として神に献げなさい。
罪があなたがたを支配することはないからです。あなたがたは律法の下にではなく、恵みの下にあるのです。"
ローマ人への手紙 6章1~14節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
『キリストの洗礼』
ヴェロッキオとレオナルド・ダ・ヴィンチの合作
1475年
ウフィツィ美術館所蔵