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2022年7月3日

2022年7月16日主日礼拝2022

2022年7月3日
東洋ローア・キリスト伝道教会
前橋伝道所
聖霊降臨後第四主日
黙祷
招詞   ハバクク書2:20
讃美   讚美歌7番「主のみいつとみさかえとを」 
主の祈り
使徒信条
祈祷
聖書朗読 ローマ人への手紙4:11~25
説教   「すべては信仰による」
讃美   讃美歌280番「わが身ののぞみは」
献金感謝祈祷
頌栄   讃美歌541番「父、み子、み霊」
祝祷
※手話による礼拝です。執事説教のため、動画はありません。
“彼は、割礼を受けていないときに信仰によって義と認められたことの証印として、割礼というしるしを受けたのです。それは、彼が、割礼を受けないままで信じるすべての人の父となり、彼らも義と認められるためであり、
また、単に割礼を受けているだけではなく、私たちの父アブラハムが割礼を受けていなかったときの信仰の足跡にしたがって歩む者たちにとって、割礼の父となるためでした。
というのは、世界の相続人となるという約束が、アブラハムに、あるいは彼の子孫に与えられたのは、律法によってではなく、信仰による義によってであったからです。
もし律法による者たちが相続人であるなら、信仰は空しくなり、約束は無効になってしまいます。
実際、律法は御怒りを招くものです。律法のないところには違反もありません。
そのようなわけで、すべては信仰によるのです。それは、事が恵みによるようになるためです。こうして、約束がすべての子孫に、すなわち、律法を持つ人々だけでなく、アブラハムの信仰に倣う人々にも保証されるのです。アブラハムは、私たちすべての者の父です。
「わたしはあなたを多くの国民の父とした」と書いてあるとおりです。彼は、死者を生かし、無いものを有るものとして召される神を信じ、その御前で父となったのです。
彼は望み得ない時に望みを抱いて信じ、「あなたの子孫は、このようになる」と言われていたとおり、多くの国民の父となりました。
彼は、およそ百歳になり、自分のからだがすでに死んだも同然であること、またサラの胎が死んでいることを認めても、その信仰は弱まりませんでした。
不信仰になって神の約束を疑うようなことはなく、かえって信仰が強められて、神に栄光を帰し、
神には約束したことを実行する力がある、と確信していました。
だからこそ、「彼には、それが義と認められた」のです。
しかし、「彼には、それが義と認められた」と書かれたのは、ただ彼のためだけでなく、
私たちのためでもあります。すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、義と認められるのです。
主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられました。"
ローマ人への手紙 4章11~25節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
『イサクの犠牲』
レンブラント・ファン・レイン
1635年
エルミタージュ美術館所蔵