2022年6月5日
2022年6月5日
東洋ローア・キリスト伝道教会
前橋伝道所
聖霊降臨日
黙祷
招詞 使徒の働き1:8
讃美 讚美歌56番「七日のたび路」
主の祈り
使徒信条
祈祷
聖書朗読 ローマ人への手紙4:1〜10
説教 「幸いなことよ」
讃美 聖歌70番「そのとがをみなゆるされ」
献金感謝祈祷
頌栄 讃美歌541番「父、み子、み霊」
祝祷
※手話による礼拝です。執事説教のため、動画はありません。
“それでは、肉による私たちの父祖アブラハムは何を見出した、と言えるのでしょうか。
もしアブラハムが行いによって義と認められたのであれば、彼は誇ることができます。しかし、神の御前ではそうではありません。
聖書は何と言っていますか。「アブラハムは神を信じた。それで、それが彼の義と認められた」とあります。
働く者にとっては、報酬は恵みによるものではなく、当然支払われるべきものと見なされます。
しかし、働きがない人であっても、不敬虔な者を義と認める方を信じる人には、その信仰が義と認められます。
同じようにダビデも、行いと関わりなく、神が義とお認めになる人の幸いを、このように言っています。
「幸いなことよ、不法を赦され、罪をおおわれた人たち。
幸いなことよ、主が罪をお認めにならない人。」
それでは、この幸いは、割礼のある者にだけ与えられるのでしょうか。それとも、割礼のない者にも与えられるのでしょうか。私たちは、「アブラハムには、その信仰が義と認められた」と言っていますが、
どのようにして、その信仰が義と認められたのでしょうか。割礼を受けてからですか。割礼を受けていないときですか。割礼を受けてからではなく、割礼を受けていないときです。"
ローマ人への手紙 4章1~10節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
『聖霊降臨』
ジャン・レストゥー
1732年
ルーヴル美術館蔵