2022年5月8日
2022年5月8日
東洋ローア・キリスト伝道教会
前橋伝道所
復活節第四主日
黙祷
招詞 エペソ人への手紙5:14
讃美 讃美歌66番「聖なる聖なる聖なるかな」
主の祈り
使徒信条
祈祷
聖書朗読 ローマ人への手紙3:21~31
説教 「イエス・キリストによる義」
讃美 讃美歌280番「わが身ののぞみ」
献金感謝祈祷
頌栄 讃美歌541番「父、み子、み霊」
祝祷
※手話による礼拝です。執事によるメッセージのため、動画はありません。
“しかし今や、律法とは関わりなく、律法と預言者たちの書によって証しされて、神の義が示されました。
すなわち、イエス・キリストを信じることによって、信じるすべての人に与えられる神の義です。そこに差別はありません。
すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、
神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。
神はこの方を、信仰によって受けるべき、血による宥めのささげ物として公に示されました。ご自分の義を明らかにされるためです。神は忍耐をもって、これまで犯されてきた罪を見逃してこられたのです。
すなわち、ご自分が義であり、イエスを信じる者を義と認める方であることを示すため、今この時に、ご自分の義を明らかにされたのです。
それでは、私たちの誇りはどこにあるのでしょうか。それは取り除かれました。どのような種類の律法によってでしょうか。行いの律法でしょうか。いいえ、信仰の律法によってです。
人は律法の行いとは関わりなく、信仰によって義と認められると、私たちは考えているからです。
それとも、神はユダヤ人だけの神でしょうか。異邦人の神でもあるのではないでしょうか。そうです。異邦人の神でもあります。
神が唯一なら、そうです。神は、割礼のある者を信仰によって義と認め、割礼のない者も信仰によって義と認めてくださるのです。
それでは、私たちは信仰によって律法を無効にすることになるのでしょうか。決してそんなことはありません。むしろ、律法を確立することになります。"
ローマ人への手紙 3章21~31節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
『主の顕栄祭』
聖カタリナ修道院