2022年1月30日

2022年2月6日主日礼拝メッセージ2022

2022年1月30日
東洋ローア・キリスト伝道教会
前橋伝道所
顕現後第4主日
黙祷
招詞   創世記1:1
讃美   讃美歌70番『父、み子、み霊の』
主の祈り  
使徒信条
祈祷    
聖書朗読 ローマ人への手紙2:17~29
説教   「文字ではなく御霊による」
讃美   聖歌499番「御霊よ、降りて」
献金感謝祈祷         
頌栄   讃美歌541番「父、み子、み霊」
祝祷
※手話による礼拝です。
執事説教のため、動画はありません。
“あなたが自らユダヤ人と称し、律法を頼みとし、神を誇り、
みこころを知り、律法から教えられて、大切なことをわきまえているなら、
また、律法のうちに具体的に示された知識と真理を持っているので、目の見えない人の案内人、闇の中にいる者の光、愚かな者の導き手、幼子の教師だ、と自負しているなら、
[前節と合節]
どうして、他人を教えながら、自分自身を教えないのですか。盗むなと説きながら、自分は盗むのですか。
姦淫するなと言いながら、自分は姦淫するのですか。偶像を忌み嫌いながら、神殿の物をかすめ取るのですか。
律法を誇りとするあなたは、律法に違反することで、神を侮っているのです。
「あなたがたのゆえに、神の御名は異邦人の間で汚されている」と書いてあるとおりです。
もしあなたが律法を行うなら、割礼には価値があります。しかし、もしあなたが律法の違反者であるなら、あなたの割礼は無割礼になったのです。
ですから、もし割礼を受けていない人が律法の規定を守るなら、その人の無割礼は割礼と見なされるのではないでしょうか。
からだは無割礼でも律法を守る人が、律法の文字と割礼がありながらも律法に違反するあなたを、さばくことになります。
外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、外見上のからだの割礼が割礼ではないからです。
かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による心の割礼こそ割礼だからです。その人への称賛は人からではなく、神から来ます。"
ローマ人への手紙 2章17~29節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
『聖ステファノの殉教』
1625年
レンブラント・ファン・レイン
リヨン美術館所蔵