2021年09月12日

2021年9月19日主日礼拝メッセージ2021

2021年9月12日
東洋ローア・キリスト伝道教会
前橋伝道所・新潟伝道所

主日礼拝
黙祷
招詞   マルコ1:15
讃美   讃美歌56番「七日のたび路」
主の祈り  
使徒信条
祈祷    
聖書朗読 ヨハネの福音書9:13~23
説教   「パリサイ人の裁定」 
讃美   聖歌451番「神なく望みなく」
献金感謝祈祷         
頌栄   讃美歌541番「父、み子、み霊」
祝祷
※手話による礼拝です。
“人々は、前に目の見えなかったその人を、パリサイ人たちのところに連れて行った。
イエスが泥を作って彼の目を開けたのは、安息日であった。
こういうわけで再び、パリサイ人たちも、どのようにして見えるようになったのか、彼に尋ねた。彼は、「あの方が私の目に泥を塗り、私が洗いました。それで今は見えるのです」と答えた。
すると、パリサイ人のうちのある者たちは、「その人は安息日を守らないのだから、神のもとから来た者ではない」と言った。ほかの者たちは「罪人である者に、どうしてこのようなしるしを行うことができるだろうか」と言った。そして、彼らの間に分裂が生じた。
そこで、彼らは再び、目の見えなかった人に言った。「おまえは、あの人についてどう思うか。あの人に目を開けてもらったのだから。」彼は「あの方は預言者です」と答えた。
ユダヤ人たちはこの人について、目が見えなかったのに見えるようになったことを信じず、ついには、目が見えるようになった人の両親を呼び出して、
尋ねた。「この人は、あなたがたの息子か。盲目で生まれたとあなたがたが言っている者か。そうだとしたら、どうして今は見えるのか。」
そこで、両親は答えた。「これが私たちの息子で、盲目で生まれたことは知っています。
しかし、どうして今見えているのかは知りません。だれが息子の目を開けてくれたのかも知りません。本人に聞いてください。もう大人です。自分のことは自分で話すでしょう。」
彼の両親がこう言ったのは、ユダヤ人たちを恐れたからであった。すでにユダヤ人たちは、イエスをキリストであると告白する者がいれば、会堂から追放すると決めていた。
そのために彼の両親は、「もう大人ですから、息子に聞いてください」と言ったのである。"
ヨハネの福音書 9章13~23節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
『「盲人の寓話」』
ピーデル・ブリューゲル
1568年
カポディモンテ美術館所蔵