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2019年6月23日

主日礼拝2019

2019年6月23日主日礼拝
東洋ローア・キリスト伝道教会前橋伝道所
黙祷
招詞 「使徒の働き1章8節」
讃美 讃美歌56番「七日のたび路」
主の祈り
使徒信条
讃美 聖歌70番「そのとがをみなゆるされ」
祈祷
聖書朗読 伝道者の書8:9~17
説教 「神を恐れる」
讃美 賛美歌21・512番「主よ、献げます」
献金感謝祈祷
頌栄 讃美歌541番「父、み子、み霊」
祝祷
※すべて手話による礼拝です。
“私はこのすべてを見て、私の心を注いだ。日の下で行われる一切のわざについて、人が人を支配して、わざわいをもたらす時について。
すると私は、悪しき者たちが葬られて去って行くのを見た。彼らは、聖なる方のところから離れ去り、わざを行ったその町で忘れられる。これもまた空しい。
悪い行いに対する宣告がすぐ下されないので、人の子らの心は、悪を行う思いで満ちている。
悪を百回行っても、罪人は長生きしている。しかし私は、神を恐れる者が神の御前で恐れ、幸せであることを知っている。
悪しき者には幸せがない。その生涯を影のように長くすることはできない。彼らが神の御前で恐れないからだ。
空しいことが地上で行われている。悪しき者の行いに対する報いを受ける正しい人もいれば、正しい人の行いに対する報いを受ける悪しき者もいる。私は言う。「これもまた空しい」と。
だから私は快楽を賛美する。日の下では、食べて飲んで楽しむよりほかに、人にとっての幸いはない。これは、神が日の下で人に与える一生の間に、その労苦に添えてくださるものだ。
私が昼も夜も眠らずに知恵を知り、地上で行われる人の営みを見ようと心に決めたとき、
すべては神のみわざであることが分かった。人は日の下で行われるみわざを見極めることはできない。人は労苦して探し求めても、見出すことはない。知恵のある者が知っていると思っても、見極めることはできない。"
伝道者の書 8章9~17節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
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