2019年3月24日
2019年3月24日主日礼拝 画像なし
黙祷
招詞 「ヨハネの黙示録22:20」
讃美 讃美歌56番「七日のたび路」
主の祈り
使徒信条
讃美 讃美歌337番「わが生けるは」
祈祷
聖書朗読 伝道者の書6:3~12
説教 「神から与えられた人生」
献金感謝祈祷
頌栄 讃美歌541番「父、み子、み霊」
祝祷
※全て手話による礼拝です。
“もし人が百人の子どもを持ち、多くの年月を生き、彼の年が多くなっても、彼が良き物に満足することなく、墓にも葬られなかったなら、私は言う。彼よりも死産の子のほうがましだと。
その子は空しさの中に生まれて来て、闇の中に去って行き、その名は闇におおわれ、
日の光も見ず、何も知らない。しかし、この子のほうが彼よりは安らかだ。
彼が千年の倍も生きても、幸せな目にあわなければ。両者とも同じ所に行くではないか。
人の労苦はみな、自分の口のためである。しかし、その食欲は決して満たされない。
知恵のある者は、愚かな者より何がまさっているだろう。人の前でどう生きるかを知っている貧しい人も、何がまさっているだろうか。
目が見ることは、欲望のひとり歩きにまさる。これもまた空しく、風を追うようなものだ。
存在するようになったものは、すでにその名がつけられ、それが人間であることも知られている。その人は、自分より力のある者と言い争うことはできない。
多く語れば、それだけ空しさを増す。それは、人にとって何の益になるだろうか。
だれが知るだろうか。影のように過ごす、空しい人生において、何が人のために良いことなのかを。だれが人に告げることができるだろうか。その人の後に、日の下で何が起こるかを。"
伝道者の書 6章3~12節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会